歌が生まれる時

#20 ガジャンのうた

#20 ガジャンのうた

八重山古典音楽の師範だった祖父、大浜津呂氏が自宅で民謡研究所を開設していたこともあり、大濵さんは幼い頃から豊かな音楽環境下で育った。音楽への愛が自然と育ち、八重山高校から東京音楽大学器楽科(サクソフォーン専攻)に進学。卒業後は音楽教師の道を選んだ。

#20 ガジャンのうた

八重山古典音楽の師範だった祖父、大浜津呂氏が自宅で民謡研究所を開設していたこともあり、大濵さんは幼い頃から豊かな音楽環境下で育った。音楽への愛が自然と育ち、八重山高校から東京音楽大学器楽科(サクソフォーン専攻)に進学。卒業後は音楽教師の道を選んだ。

#18 日曜日

#18 日曜日

喜舎場英雄さん(石垣市出身。ギター)と具志堅陽子さん(同。ギター&ボーカル)は東京時代、ライブハウス「渋谷アピア」に出演していたことが縁でユニットを組むようになった。

#18 日曜日

喜舎場英雄さん(石垣市出身。ギター)と具志堅陽子さん(同。ギター&ボーカル)は東京時代、ライブハウス「渋谷アピア」に出演していたことが縁でユニットを組むようになった。

#17 やいま

#17 やいま

八重山地方の情歌『とぅばらーま』の代表的な歌詞に「やま みりば やいま ゆ うむいいだし うみ みりば まりじぃま うむいいだし」というのがある。島を出た八重山出身者が、郷愁や望郷の心情を歌っている。

#17 やいま

八重山地方の情歌『とぅばらーま』の代表的な歌詞に「やま みりば やいま ゆ うむいいだし うみ みりば まりじぃま うむいいだし」というのがある。島を出た八重山出身者が、郷愁や望郷の心情を歌っている。

#16 幸せ

#16 幸せ

この歌は2005年、沖縄市で開催された第7回コザ音楽祭(主催・沖縄ロック協会)に、4人編成のバンド「チョコプレ」で出場し、見事グランプリに輝いた受賞曲である。

#16 幸せ

この歌は2005年、沖縄市で開催された第7回コザ音楽祭(主催・沖縄ロック協会)に、4人編成のバンド「チョコプレ」で出場し、見事グランプリに輝いた受賞曲である。

#15 軽トラックかりて

#15 軽トラックかりて

 小浜島のシュガーロード。両側にサトウキビ畑が広がるまっすぐに伸びた坂道で、この道を走行する軽トラックが2003年に発表された楽曲『軽トラックかりて』の源泉になっている。 ある時「ポっという感じだった」と、曲が産声を上げた瞬間を振り返る。歩きながらハミングするような、自然の流れで生まれたという。

#15 軽トラックかりて

 小浜島のシュガーロード。両側にサトウキビ畑が広がるまっすぐに伸びた坂道で、この道を走行する軽トラックが2003年に発表された楽曲『軽トラックかりて』の源泉になっている。 ある時「ポっという感じだった」と、曲が産声を上げた瞬間を振り返る。歩きながらハミングするような、自然の流れで生まれたという。

#12 HELLO MAMA

#12 HELLO MAMA

4年前の春まだ浅き頃、池田さんの母・信子さんはがんのため78歳で亡くなった。池田さんは「自分がアーティストとして歌い続ける以上、母をテーマにした歌を作りたい」と強い決意を抱いた。「メロディーはすぐ降りてきた」。しかし歌詞がなかなか浮かんで来なかった。母親への愛慕が流れ続ける間、川面の泡のように浮かんでは消え、消えては浮かぶ感覚の中で、言葉が形を成したのは、メロディーが生まれてから4年後だった。数多い思い出のなか、母親が口にしていた「今度生まれて来る時はパーマ屋になりたい」という言葉をそのまま盛り込んだ。

#12 HELLO MAMA

4年前の春まだ浅き頃、池田さんの母・信子さんはがんのため78歳で亡くなった。池田さんは「自分がアーティストとして歌い続ける以上、母をテーマにした歌を作りたい」と強い決意を抱いた。「メロディーはすぐ降りてきた」。しかし歌詞がなかなか浮かんで来なかった。母親への愛慕が流れ続ける間、川面の泡のように浮かんでは消え、消えては浮かぶ感覚の中で、言葉が形を成したのは、メロディーが生まれてから4年後だった。数多い思い出のなか、母親が口にしていた「今度生まれて来る時はパーマ屋になりたい」という言葉をそのまま盛り込んだ。