歌が生まれる時
#20 ガジャンのうた
八重山古典音楽の師範だった祖父、大浜津呂氏が自宅で民謡研究所を開設していたこともあり、大濵さんは幼い頃から豊かな音楽環境下で育った。音楽への愛が自然と育ち、八重山高校から東京音楽大学器楽科(サクソフォーン専攻)に進学。卒業後は音楽教師の道を選んだ。
#20 ガジャンのうた
八重山古典音楽の師範だった祖父、大浜津呂氏が自宅で民謡研究所を開設していたこともあり、大濵さんは幼い頃から豊かな音楽環境下で育った。音楽への愛が自然と育ち、八重山高校から東京音楽大学器楽科(サクソフォーン専攻)に進学。卒業後は音楽教師の道を選んだ。
#9 六月の祈り ~ウムイ~
沖縄県では6月23日を「慰霊の日」と定め、この月間、県内の各学校では独自に平和学習が行われている。「六月の祈り~ウムイ~」は、平和学習にちなんで生まれた。16年前、浦崎さんは黒島小中校で勤務していた。職員の祖母が、ひめゆり学徒隊の生き残りであったことから、平和学習で戦争体験の講話をお願いすることになった。教頭職の浦崎さんは、それに向けての曲作りを学校長から提案された。
#9 六月の祈り ~ウムイ~
沖縄県では6月23日を「慰霊の日」と定め、この月間、県内の各学校では独自に平和学習が行われている。「六月の祈り~ウムイ~」は、平和学習にちなんで生まれた。16年前、浦崎さんは黒島小中校で勤務していた。職員の祖母が、ひめゆり学徒隊の生き残りであったことから、平和学習で戦争体験の講話をお願いすることになった。教頭職の浦崎さんは、それに向けての曲作りを学校長から提案された。
#1 カニさん
1979年、東京阿佐ヶ谷。石垣島出身の大学生、仲嶺正哉さん(1957年生)のアパートに高校の同級生4人が遊びに来た。外で飲もうということになり、駅前の居酒屋「じょんがら」に移動した。カウンターに座る彼らが話す「なまり」に、同店で働く宮良力二(かつじ)さん(1956年生)は心を奪われた。
#1 カニさん
1979年、東京阿佐ヶ谷。石垣島出身の大学生、仲嶺正哉さん(1957年生)のアパートに高校の同級生4人が遊びに来た。外で飲もうということになり、駅前の居酒屋「じょんがら」に移動した。カウンターに座る彼らが話す「なまり」に、同店で働く宮良力二(かつじ)さん(1956年生)は心を奪われた。