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南山舎株式会社

No.367 月刊やいま2025年6月号

No.367 月刊やいま2025年6月号

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具志堅用高物語

―有田静人の具志堅取材ノートから―

沖縄の星から 世界のカンムリワシへ 

 ドジャースの大谷翔平投手(30)は令和6年9月21日(日本時間・20日)、前人未到の「50本塁打―50盗塁」を達成し、世界中の人々や野球ファンを熱狂させた。しかし、それと同等か、あるいはそれ以上に、我々沖縄県民が忘れてはならない日がある―。

  昭和51(1976)年10月10日(体育の日・山梨学院大学体育館)、沖縄県民にとって、おそらく生涯忘れることのできない1日だろう―。

 「百年に1人出るか出ないかの選手」。そんなアドバルーンに乗って彗星のようにデビューした具志堅用高(協栄ジム)は、わずか9戦目にWBA世界J・フライ級チャンピオンになり、それから2年3カ月後には、それまで日本選手がなし得なかったタイトル防衛7回(V7)の日本記録を樹立してしまったのだ。

 「沖縄が本土に復帰しない限り日本の戦後は終わらない」と言ったのは故佐藤栄作首相だが、具志堅用高は約四半世紀にわたってアメリカの統治下にあった沖縄の石垣島から、世界へと飛び立った〝カンムリワシ〟だった。それは最も長い戦後を味わった沖縄県民たちに勇気と希望を与えた快挙であり、「本土に負けるな!」の合言葉を実践した沖縄県民の誇りでもあった。

 世界で一番軽いクラスの男が、沖縄の、いや日本の期待を一身に背負って世界へ飛び立った足跡を振り返ってみよう。

特集/有田 静人

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