歌が生まれる時

#3 さしみ屋

#3 さしみ屋

他府県などからの移住者が石垣島で生活を始めると、驚かされることが多い。「さしみ屋」も、その一つ。本土での魚屋は、島では鮮魚店、さしみ店と呼ばれ、地元の人は親しみを込めて「さしみ屋」と呼ぶ。店は漁師の家族や親族によって営業しているものが大半で、30軒以上あるとみられる。

#3 さしみ屋

他府県などからの移住者が石垣島で生活を始めると、驚かされることが多い。「さしみ屋」も、その一つ。本土での魚屋は、島では鮮魚店、さしみ店と呼ばれ、地元の人は親しみを込めて「さしみ屋」と呼ぶ。店は漁師の家族や親族によって営業しているものが大半で、30軒以上あるとみられる。

#2 晴々/はればれ

#2 晴々/はればれ

 2014年、饒平名久乃さんの人生の羅針盤が大きく動いた。この年の4月、父親が大動脈破裂で急逝。久乃さんは20歳で歌手を目指して上京し音楽活動をしていたが、家業のクリーニング店を引き継ぐと決め、13年ほど住んだ東京を離れた。

#2 晴々/はればれ

 2014年、饒平名久乃さんの人生の羅針盤が大きく動いた。この年の4月、父親が大動脈破裂で急逝。久乃さんは20歳で歌手を目指して上京し音楽活動をしていたが、家業のクリーニング店を引き継ぐと決め、13年ほど住んだ東京を離れた。

#1 カニさん

#1 カニさん

1979年、東京阿佐ヶ谷。石垣島出身の大学生、仲嶺正哉さん(1957年生)のアパートに高校の同級生4人が遊びに来た。外で飲もうということになり、駅前の居酒屋「じょんがら」に移動した。カウンターに座る彼らが話す「なまり」に、同店で働く宮良力二(かつじ)さん(1956年生)は心を奪われた。

#1 カニさん

1979年、東京阿佐ヶ谷。石垣島出身の大学生、仲嶺正哉さん(1957年生)のアパートに高校の同級生4人が遊びに来た。外で飲もうということになり、駅前の居酒屋「じょんがら」に移動した。カウンターに座る彼らが話す「なまり」に、同店で働く宮良力二(かつじ)さん(1956年生)は心を奪われた。