When a song is born

#24 豊年祭

#24 豊年祭

 2018年に61歳で亡くなった田代哲二さんは生前、鳩間島を題材にした『豊年祭』と、大学時代の思い出を歌った『首里の乙女』という2曲のオリジナル楽曲を発表している。これらは1996年に制作されたオムニバスCD『八重山ワンダフルミュージック』(7組、全13曲)に収録されている。  同CDづくりを発案・企画した仲嶺正哉さん(1957年生)は、当時沖縄本島に住み、ライブハウス「酔イング」に石垣有三さんとのデュオで出演、八重山ワンダフルナイトのイベントを定期的に開催していた。その活動のなかで「八重山のアマチュアミュージシャンたちのCDをつくりたい」と思い描き、最初に声をかけたのが石垣島にいた同級生で音楽仲間の田代哲二さんだった。彼は即座に「お、いいね。面白いんじゃない!」と快諾してくれたという。  この楽曲は、鳩間島豊年祭の場面を映像記録のように描く。抑制された語り口で、島の祭りを自分の創造の材料にするのではなく、祭りの本質に寄り添う姿勢で歌われている。体に沁みついた島の祭りが、自然な形で滲み出た感じだ。  文化への畏敬の念と祈りへの共感、歌心が密接にからみ合った楽曲である。イントロでは田代さんが実際に現場で録音した豊年祭の太鼓の音、笛の、掛け声、空気のざわめきがリアリティーを高め、電子ピアノによる伴奏と、柔らかさと力強さを併せ持つ田代さんの声調が心地よく響く。  2015年頃だろうか。酒の場で彼と会ったことがある。複数の友人らが同席し、ゆっくりと話はできなかったが、居酒屋「でんでん」の店主と紹介されたことを覚えている。 一度でいいから、その優しく芯のある彼の歌声を生で聴きたかったと、つくづく思う。   https://www.youtube.com/watch?v=La68rpr30-c   田代哲二 1958年3月12日生まれ。鳩間島出身。八重山高校1年生の時、仲嶺正哉さん、石垣博公さんとバンドを組み予餞会に出演、ボンゴを担当。会社員、Tシャツ屋、居酒屋経営などの傍ら音楽活動を行った。

#24 豊年祭

 2018年に61歳で亡くなった田代哲二さんは生前、鳩間島を題材にした『豊年祭』と、大学時代の思い出を歌った『首里の乙女』という2曲のオリジナル楽曲を発表している。これらは1996年に制作されたオムニバスCD『八重山ワンダフルミュージック』(7組、全13曲)に収録されている。  同CDづくりを発案・企画した仲嶺正哉さん(1957年生)は、当時沖縄本島に住み、ライブハウス「酔イング」に石垣有三さんとのデュオで出演、八重山ワンダフルナイトのイベントを定期的に開催していた。その活動のなかで「八重山のアマチュアミュージシャンたちのCDをつくりたい」と思い描き、最初に声をかけたのが石垣島にいた同級生で音楽仲間の田代哲二さんだった。彼は即座に「お、いいね。面白いんじゃない!」と快諾してくれたという。  この楽曲は、鳩間島豊年祭の場面を映像記録のように描く。抑制された語り口で、島の祭りを自分の創造の材料にするのではなく、祭りの本質に寄り添う姿勢で歌われている。体に沁みついた島の祭りが、自然な形で滲み出た感じだ。  文化への畏敬の念と祈りへの共感、歌心が密接にからみ合った楽曲である。イントロでは田代さんが実際に現場で録音した豊年祭の太鼓の音、笛の、掛け声、空気のざわめきがリアリティーを高め、電子ピアノによる伴奏と、柔らかさと力強さを併せ持つ田代さんの声調が心地よく響く。  2015年頃だろうか。酒の場で彼と会ったことがある。複数の友人らが同席し、ゆっくりと話はできなかったが、居酒屋「でんでん」の店主と紹介されたことを覚えている。 一度でいいから、その優しく芯のある彼の歌声を生で聴きたかったと、つくづく思う。   https://www.youtube.com/watch?v=La68rpr30-c   田代哲二 1958年3月12日生まれ。鳩間島出身。八重山高校1年生の時、仲嶺正哉さん、石垣博公さんとバンドを組み予餞会に出演、ボンゴを担当。会社員、Tシャツ屋、居酒屋経営などの傍ら音楽活動を行った。

#23 黒島♡♡ラブラブ

#23 黒島♡♡ラブラブ

 島仲久さんは黒島に生まれた。高校進学の時、石垣島へ渡ったが、抱えていた持病のため中退して黒島に戻ることになった。高校生活では、同級生らから「黒島ってどこにあるの?」と尋ねられることが多く、その度に悔しい思いをしたそうだ。その体験が原点となり、「黒島を知ってほしい」という願いを込めてつくった楽曲が『黒島♡♡ラブラブ』である。  三線はそれまで弾けなかったが、実家にあった壊れた三線を自力で直し、毎日10時間ほどの練習を重ねて演奏できるようになったという。  歌は、—海鳴り響き寄せる波 日本の南のハート島 牛が笑顔でこんにちは 世界の人々を出迎える ハートだよ ハートだよ ハートの—と始まり、のんびりとした島の空気と牧歌的で平和な風景が広がる。  当時、小浜島で活動していた平田大一さんとともに、同島のリゾートホテル「はいむるぶし」のロビーコンサートに出演した際、『黒島♡♡ラブラブ』がNHKの放送関係者の目に留まり、全国放送「みんなのうた」で約10年間紹介されることになった。その後、照屋林賢さんとの出会にも恵まれ、照屋さんの音楽哲学「ちゃんぷらリズム」(沖縄の伝統リズムを核にして洋楽・ポップスの要素を混ぜ合わせる音楽スタイル)を知ることになる。    2020年に発売された島仲さんのデビュー25周年記念アルバム『ちゃんぷらリズム 島仲久with唄もーれ』に、その音楽観が体現されている。  黒島では1993年から毎年2月に、「黒島牛まつり」が開催されており、「島仲久バンドenjoy倶楽部バンド」は4回目のまつりから毎年出演している。『黒島♡♡ラブラブ』は同まつりの定番曲として親しまれている。   お使いのブラウザではaudioタグがサポートされていません。   島仲久 1974年生まれ。三線シンガー・ソングライター。妻のさとみさんと創業20年以上になるライブ居酒屋「唄も~れ」を経営。「島仲久バンドenjoy倶楽部バンド」(妻のさとみ。息子の来武、唄磨露。喜多千恵)で店でのライブ演奏の他、島外や全国のイベントにも出演している。

#23 黒島♡♡ラブラブ

 島仲久さんは黒島に生まれた。高校進学の時、石垣島へ渡ったが、抱えていた持病のため中退して黒島に戻ることになった。高校生活では、同級生らから「黒島ってどこにあるの?」と尋ねられることが多く、その度に悔しい思いをしたそうだ。その体験が原点となり、「黒島を知ってほしい」という願いを込めてつくった楽曲が『黒島♡♡ラブラブ』である。  三線はそれまで弾けなかったが、実家にあった壊れた三線を自力で直し、毎日10時間ほどの練習を重ねて演奏できるようになったという。  歌は、—海鳴り響き寄せる波 日本の南のハート島 牛が笑顔でこんにちは 世界の人々を出迎える ハートだよ ハートだよ ハートの—と始まり、のんびりとした島の空気と牧歌的で平和な風景が広がる。  当時、小浜島で活動していた平田大一さんとともに、同島のリゾートホテル「はいむるぶし」のロビーコンサートに出演した際、『黒島♡♡ラブラブ』がNHKの放送関係者の目に留まり、全国放送「みんなのうた」で約10年間紹介されることになった。その後、照屋林賢さんとの出会にも恵まれ、照屋さんの音楽哲学「ちゃんぷらリズム」(沖縄の伝統リズムを核にして洋楽・ポップスの要素を混ぜ合わせる音楽スタイル)を知ることになる。    2020年に発売された島仲さんのデビュー25周年記念アルバム『ちゃんぷらリズム 島仲久with唄もーれ』に、その音楽観が体現されている。  黒島では1993年から毎年2月に、「黒島牛まつり」が開催されており、「島仲久バンドenjoy倶楽部バンド」は4回目のまつりから毎年出演している。『黒島♡♡ラブラブ』は同まつりの定番曲として親しまれている。   お使いのブラウザではaudioタグがサポートされていません。   島仲久 1974年生まれ。三線シンガー・ソングライター。妻のさとみさんと創業20年以上になるライブ居酒屋「唄も~れ」を経営。「島仲久バンドenjoy倶楽部バンド」(妻のさとみ。息子の来武、唄磨露。喜多千恵)で店でのライブ演奏の他、島外や全国のイベントにも出演している。

#22 風波花

#22 風波花

 2015年。カワミツサヤカさんは、活動の拠点にしていた東京を離れ、帰省した。ソロで活動を続けながら「音楽を続けるかどうか」という葛藤のなか、心が晴れない日々を送っていた時期だった。

#22 風波花

 2015年。カワミツサヤカさんは、活動の拠点にしていた東京を離れ、帰省した。ソロで活動を続けながら「音楽を続けるかどうか」という葛藤のなか、心が晴れない日々を送っていた時期だった。

#21 オオゴマダラのおつかい

#21 オオゴマダラのおつかい

この曲の萌芽は2000年にさかのぼる。長年住んだ東京を離れ、帰郷していた年だった。ある朝、登校する子どもたちのそばを数匹のオオゴマダラが旋回するように飛んでいく姿を目にした。「東京にいた頃はオオゴマダラを知らなかった」と田本さん。その光景に心が奪われ、「曲をつくろう」という思いが自然に湧き上がった。

#21 オオゴマダラのおつかい

この曲の萌芽は2000年にさかのぼる。長年住んだ東京を離れ、帰郷していた年だった。ある朝、登校する子どもたちのそばを数匹のオオゴマダラが旋回するように飛んでいく姿を目にした。「東京にいた頃はオオゴマダラを知らなかった」と田本さん。その光景に心が奪われ、「曲をつくろう」という思いが自然に湧き上がった。

#20 ガジャンのうた

#20 ガジャンのうた

八重山古典音楽の師範だった祖父、大浜津呂氏が自宅で民謡研究所を開設していたこともあり、大濵さんは幼い頃から豊かな音楽環境下で育った。音楽への愛が自然と育ち、八重山高校から東京音楽大学器楽科(サクソフォーン専攻)に進学。卒業後は音楽教師の道を選んだ。

#20 ガジャンのうた

八重山古典音楽の師範だった祖父、大浜津呂氏が自宅で民謡研究所を開設していたこともあり、大濵さんは幼い頃から豊かな音楽環境下で育った。音楽への愛が自然と育ち、八重山高校から東京音楽大学器楽科(サクソフォーン専攻)に進学。卒業後は音楽教師の道を選んだ。

#18 日曜日

#18 日曜日

喜舎場英雄さん(石垣市出身。ギター)と具志堅陽子さん(同。ギター&ボーカル)は東京時代、ライブハウス「渋谷アピア」に出演していたことが縁でユニットを組むようになった。

#18 日曜日

喜舎場英雄さん(石垣市出身。ギター)と具志堅陽子さん(同。ギター&ボーカル)は東京時代、ライブハウス「渋谷アピア」に出演していたことが縁でユニットを組むようになった。