4年前の春まだ浅き頃、池田さんの母・信子さんはがんのため78歳で亡くなった。池田さんは「自分がアーティストとして歌い続ける以上、母をテーマにした歌を作りたい」と強い決意を抱いた。
「メロディーはすぐ降りてきた」。しかし歌詞がなかなか浮かんで来なかった。母親への愛慕が流れ続ける間、川面の泡のように浮かんでは消え、消えては浮かぶ感覚の中で、言葉が形を成したのは、メロディーが生まれてから4年後だった。数多い思い出のなか、母親が口にしていた「今度生まれて来る時はパーマ屋になりたい」という言葉をそのまま盛り込んだ。
この楽曲は、池田さんが母親に寄せる愛情表現が純粋な形で描かれ、情感豊かなバラードとして昇華されている。
小学5年の時、誕生祝いに父親が買ってくれたギターを手にして以降、音楽に夢中になった。プレゼントは予定ではギア付き自転車(3万6千円)だった。親子で自転車店に向かう途中、時計店のケースに陳列されていたギターが目に留まり、真作さんは思わず「ギターのほうがいい」と口にしていた。父親は息子の突然の変更を咎めることもなく、フォークギターを購入してくれた。定価は1万6千円だったという。
池田さんは中学3年の時、日出克と出会い、高校2年の時に音楽仲間を加えた3人で「やもり」バンドを結成。卒業後に上京、プロを目指して6年ほど音楽活動をした。しかし体調を崩し1998年に石垣島に帰郷。その後、オリジナル曲づくりに注力するようになった。2006年にはスタジオnanを自宅横に設置、同年「月うた星うた」、09年に「Messenger」、17年には「BestSelection」のアルバム3枚をリリースしている。
Words and Music by
池田真作/いけだしんさく
1966年、石垣島生まれ。ウィングキッズリーダーズ「オヤケアカハチ~太陽の乱~」の各公演でバンドマスター・ボーカル&ギターを務める。2013年から舞台曲として「結ぬ島風」を楽曲提供。石垣市内のホテルでのライブ、大阪や京都などで幅広くライブ活動を展開中。03年には八重山古典民謡コンクールで優秀賞を受賞している。
PROFILE
島尻修 編劇