この歌は2005年、沖縄市で開催された第7回コザ音楽祭(主催・沖縄ロック協会)に、4人編成のバンド「チョコプレ」で出場し、見事グランプリに輝いた受賞曲である。
同バンドは、AKO(ボーカル・豊見城出身)、TAKEICH(ギター・那覇市出身)、げん(ドラム・沖縄市出身)、そして石垣出身のベース・たくや★ロビンソン。本名・宮城拓矢の4人編成。沖縄本島に住んでいた青春真っただ中の20代の若者たちで、オリジナル曲を作り、那覇を拠点にライブハウスに出演していた。
この歌は、「青空に続く坂を一緒にのぼろ 海が見えてきたら手をつなごう」というフレーズで始まる。軽快なポップ調の曲である。拓矢さんに直接、話を聞くことはできなかったが「その頃、拓矢さんには交際していた女性がいて、その人を思って作った曲だと思う」とメンバーの一人は話す。音楽祭では「観客を楽しませる表現力と、自らも音楽を楽しむ姿勢に好感を持った」(会長談)と評された。
2004~07年まで活動した「チョコプレ」の解散後、08年から拓矢さんは別の男性とバンドを組み、音楽活動を続けた。東京や沖縄・北谷などのカーニバルなどに出演している。30代で帰郷した後は、伊野田地区で花き農家を営みながら、北部活性化事業に関わり、消防団で活動するなど地域貢献に注力。2011年には、八重山古典民謡コンクールで新人賞を得ている。
歌が生まれてくる背景は、恋愛感情をはじめ、さまざまである。喜び、悲しみ、怒り、嘆息、あきらめ、希望、期待、歓喜、そして夢……。拓矢さんにとって、音楽は常に生活と手をたずさえた存在だった。
Words and Music by
たくや★ロビンソン
宮城拓矢/1981年生まれ。新川出身。中学の頃、石垣市内のギター教室でギターを習い始める。高校卒業後は、造園、語学、音楽を学ぶため一年間イギリスへ留学。2025年8月5日、病で他界した。
PROFILE
文/島尻修
