歌が生まれる時

#16 幸せ

text & photo: Osamu Shimajiri 
#16 幸せ

 この歌は2005年、沖縄市で開催された第7回コザ音楽祭(主催・沖縄ロック協会)に、4人編成のバンド「チョコプレ」で出場し、見事グランプリに輝いた受賞曲である。

  同バンドは、AKO(ボーカル・豊見城出身)、TAKEICH(ギター・那覇市出身)、げん(ドラム・沖縄市出身)、そして石垣出身のベース・たくや★ロビンソン。本名・宮城拓矢の4人編成。沖縄本島に住んでいた青春真っただ中の20代の若者たちで、オリジナル曲を作り、那覇を拠点にライブハウスに出演していた。

  この歌は、「青空に続く坂を一緒にのぼろ 海が見えてきたら手をつなごう」というフレーズで始まる。軽快なポップ調の曲である。拓矢さんに直接、話を聞くことはできなかったが「その頃、拓矢さんには交際していた女性がいて、その人を思って作った曲だと思う」とメンバーの一人は話す。音楽祭では「観客を楽しませる表現力と、自らも音楽を楽しむ姿勢に好感を持った」(会長談)と評された。

  2004~07年まで活動した「チョコプレ」の解散後、08年から拓矢さんは別の男性とバンドを組み、音楽活動を続けた。東京や沖縄・北谷などのカーニバルなどに出演している。30代で帰郷した後は、伊野田地区で花き農家を営みながら、北部活性化事業に関わり、消防団で活動するなど地域貢献に注力。2011年には、八重山古典民謡コンクールで新人賞を得ている。

  歌が生まれてくる背景は、恋愛感情をはじめ、さまざまである。喜び、悲しみ、怒り、嘆息、あきらめ、希望、期待、歓喜、そして夢……。拓矢さんにとって、音楽は常に生活と手をたずさえた存在だった。

 





Words and Music by

たくや★ロビンソン
宮城拓矢/1981年生まれ。新川出身。中学の頃、石垣市内のギター教室でギターを習い始める。高校卒業後は、造園、語学、音楽を学ぶため一年間イギリスへ留学。2025年8月5日、病で他界した。

PROFILE

文/島尻修

  • #16 幸せ

    #16 幸せ

    この歌は2005年、沖縄市で開催された第7回コザ音楽祭(主催・沖縄ロック協会)に、4人編成のバンド「チョコプレ」で出場し、見事グランプリに輝いた受賞曲である。

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  • #15 軽トラックかりて

    #15 軽トラックかりて

     小浜島のシュガーロード。両側にサトウキビ畑が広がるまっすぐに伸びた坂道で、この道を走行する軽トラックが2003年に発表された楽曲『軽トラックかりて』の源泉になっている。 ある時「ポっという感じだった」と、曲が産声を上げた瞬間を振り返る。歩きながらハミングするような、自然の流れで生まれたという。

    #15 軽トラックかりて

     小浜島のシュガーロード。両側にサトウキビ畑が広がるまっすぐに伸びた坂道で、この道を走行する軽トラックが2003年に発表された楽曲『軽トラックかりて』の源泉になっている。 ある時「ポっという感じだった」と、曲が産声を上げた瞬間を振り返る。歩きながらハミングするような、自然の流れで生まれたという。

  • #12 HELLO MAMA

    #12 HELLO MAMA

    4年前の春まだ浅き頃、池田さんの母・信子さんはがんのため78歳で亡くなった。池田さんは「自分がアーティストとして歌い続ける以上、母をテーマにした歌を作りたい」と強い決意を抱いた。「メロディーはすぐ降りてきた」。しかし歌詞がなかなか浮かんで来なかった。母親への愛慕が流れ続ける間、川面の泡のように浮かんでは消え、消えては浮かぶ感覚の中で、言葉が形を成したのは、メロディーが生まれてから4年後だった。数多い思い出のなか、母親が口にしていた「今度生まれて来る時はパーマ屋になりたい」という言葉をそのまま盛り込んだ。

    #12 HELLO MAMA

    4年前の春まだ浅き頃、池田さんの母・信子さんはがんのため78歳で亡くなった。池田さんは「自分がアーティストとして歌い続ける以上、母をテーマにした歌を作りたい」と強い決意を抱いた。「メロディーはすぐ降りてきた」。しかし歌詞がなかなか浮かんで来なかった。母親への愛慕が流れ続ける間、川面の泡のように浮かんでは消え、消えては浮かぶ感覚の中で、言葉が形を成したのは、メロディーが生まれてから4年後だった。数多い思い出のなか、母親が口にしていた「今度生まれて来る時はパーマ屋になりたい」という言葉をそのまま盛り込んだ。

  • #11 星になったこどもたち

    #11 星になったこどもたち

    波照間島の中心部、西表島を望む小高い丘に「学童慰霊碑」が建っている。この碑は太平洋戦争末期、西表島南風見へ強制疎開させられ、マラリアで命を落とした波照間小の児童66人の霊を慰めるために建立された(1984年の創立90周年事業)。

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    波照間島の中心部、西表島を望む小高い丘に「学童慰霊碑」が建っている。この碑は太平洋戦争末期、西表島南風見へ強制疎開させられ、マラリアで命を落とした波照間小の児童66人の霊を慰めるために建立された(1984年の創立90周年事業)。

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