歌が生まれる時

#11 星になったこどもたち

#学童慰霊碑  #宮良長明  #星になったこどもたち  #波照間島  #豊川正晃  text & photo: Osamu Shimajiri 
#11 星になったこどもたち

 波照間島の中心部、西表島を望む小高い丘に「学童慰霊碑」が建っている。この碑は太平洋戦争末期、西表島南風見へ強制疎開させられ、マラリアで命を落とした波照間小の児童66人の霊を慰めるために建立された(1984年の創立90周年事業)。

 1992年、沖縄県が波照間小を平和推進校に指定。これを受けて、子どもたちによる手作りの平和学習会を考えた職員らは話し合いを持ち、「うた」を作ろうと決めた。

 曲作りは豊川正晃さんに白羽の矢が立った。

 「歌を作ることには慣れていたが、曲が先で、その後に子どもたちにメロディーを聴かせてから詞を書いてもらう——それまでにない手順だったので戸惑いがあった」と当時の心境を振り返る。

 鎮魂の歌、キーを短調にした。脳裏にはギリシャ神話のイカロスの翼の物語があった。イントロに風や波の音を入れたらどうだろうか、など試みて、いい感じに仕上がった後、上運天さんに編曲をお願いすると「素晴らしいアレンジ」で感動したと豊川さんは語る。

 その後、子どもたちが書いた作品(詩)を職員全員で検討。楽曲のタイトルは、研究主任の前大弘子教諭がつけた。

 誕生後、この歌は波照間小の平和学習会はもちろん、行政や民間主催の各種平和集会、マラリア関係のイベントなどで常用されている。1998年、石垣市と稚内市との平和交流で公演を行った「こども劇団 星の子」(作・演出 宮良長明)の主題歌としても用いられた。直近では「池上彰の戦争を考えるSP 感染症の悲劇」(2020年、BSテレビ東京)の中でも取り上げられ話題になった。

 この歌は「歌い継ぐことで戦争の悲劇を忘れない」。そういう歌である。

 




Words and Music by

池原興一/いけはらこういち
石垣市大川出身。フォークシンガー。吉田拓郎、井上陽水、西岡恭三、大塚まさじ、下田逸郎らに影響を受けながら40年余り地元で音楽活動を続けた。1956―2023年(享年67)

石垣篤/いしがきあつし
石垣市登野城出身。唐十郎の紅テント「状況劇場」を見て衝撃を受け、劇作家、演出家として地元で活動した。1950―1999年(享年49)

PROFILE

文/島尻修

  • #19 ながらいたぼり

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     八重山民謡、島唄の唄者である那良伊(ならい)千鳥さんの祖父と叔母は舞踊の師匠、母方の血統に西表島祖納地区の祝い事や祭りには欠かせない「唄歌い」の女性がおり、西表島一の美声の持ち主といわれたという。 

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  • #20 ガジャンのうた

    #20 ガジャンのうた

    八重山古典音楽の師範だった祖父、大浜津呂氏が自宅で民謡研究所を開設していたこともあり、大濵さんは幼い頃から豊かな音楽環境下で育った。音楽への愛が自然と育ち、八重山高校から東京音楽大学器楽科(サクソフォーン専攻)に進学。卒業後は音楽教師の道を選んだ。

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  • #18 日曜日

    #18 日曜日

    喜舎場英雄さん(石垣市出身。ギター)と具志堅陽子さん(同。ギター&ボーカル)は東京時代、ライブハウス「渋谷アピア」に出演していたことが縁でユニットを組むようになった。

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  • #17 やいま

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    八重山地方の情歌『とぅばらーま』の代表的な歌詞に「やま みりば やいま ゆ うむいいだし うみ みりば まりじぃま うむいいだし」というのがある。島を出た八重山出身者が、郷愁や望郷の心情を歌っている。

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