歌が生まれる時

#2 晴々/はればれ

#Aランチ  #一番星  #大栄クリーニング  #晴々  #饒平名久乃  text: osamu shimajiri 
#2 晴々/はればれ

 2014年、饒平名久乃さんの人生の羅針盤が大きく動いた。この年の4月、父親が大動脈破裂で急逝。久乃さんは20歳で歌手を目指して上京し音楽活動をしていたが、家業のクリーニング店を引き継ぐと決め、13年ほど住んだ東京を離れた。

 ぽっかりと心に空いた喪失感を昇華させ、父への想いをつづった言葉は2019年6月に制作されたミニアルバム『一番星』に「晴々」を含む4曲入りで収録された。

 「晴々」は〈夕べ お母さんは少し慌てて ご飯にうどん乗せ その上にカレー〉という歌詞で始まる。コミカルな情景が思い浮かぶ軽快なテンポの楽曲だ。同年、RBC琉球放送、お昼の番組「Aランチ」のエンディング曲に採用され話題になった。

 冒頭の歌詞から、母親との日常を描いていると思いきや、その後、〈空でお父さんは何してますか 拾ってきた猫は懐いてますか/話がしたいね 何気ない日々は さらりと過ぎて たまに恋しい 恋しいな/痩せこけた月は 気がつけば満ちて 積み上げた日々と歌にして贈るとしよう〉という父親への呼びかけが出てくる。

 「晴々」は「一番星」と対になっていて、新しい環境で前向きに生きる方向を選ぶ自分への応援歌でもあるようだ。

 久乃さんのオリジナル曲は10曲あり、うち8曲は20代の作品。「一番星」と「晴々」は帰郷後、30代の時に石垣島でつくられている。「ストレートに自分の気持ちをそのまま表現しています」と言う久乃さん。元気なころには果たせなかった夢。喉元まで出かかっていた思い…、口にしたかった感謝の言葉。湧き水のように出てきた想いが歌となっている。

 

 

 


SONG INFO

「晴々」
2019年 作詞/饒平名久乃 作曲/ストライクカンパニー

 


Words by

饒平名 久乃/よへな ひさの
1980年生まれ。石垣市出身。2011年ファーストアルバム「はじめての春夏秋冬」を自主制作。2019年ミニアルバム「一番星」を全国発売。石垣島を拠点に島内外での音楽イベント、地元のライブハウス、大手ホテルのライブなどに出演している。

PROFILE

文/島尻修

  • #16 幸せ

    #16 幸せ

    この歌は2005年、沖縄市で開催された第7回コザ音楽祭(主催・沖縄ロック協会)に、4人編成のバンド「チョコプレ」で出場し、見事グランプリに輝いた受賞曲である。

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  • #15 軽トラックかりて

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     小浜島のシュガーロード。両側にサトウキビ畑が広がるまっすぐに伸びた坂道で、この道を走行する軽トラックが2003年に発表された楽曲『軽トラックかりて』の源泉になっている。 ある時「ポっという感じだった」と、曲が産声を上げた瞬間を振り返る。歩きながらハミングするような、自然の流れで生まれたという。

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  • #12 HELLO MAMA

    #12 HELLO MAMA

    4年前の春まだ浅き頃、池田さんの母・信子さんはがんのため78歳で亡くなった。池田さんは「自分がアーティストとして歌い続ける以上、母をテーマにした歌を作りたい」と強い決意を抱いた。「メロディーはすぐ降りてきた」。しかし歌詞がなかなか浮かんで来なかった。母親への愛慕が流れ続ける間、川面の泡のように浮かんでは消え、消えては浮かぶ感覚の中で、言葉が形を成したのは、メロディーが生まれてから4年後だった。数多い思い出のなか、母親が口にしていた「今度生まれて来る時はパーマ屋になりたい」という言葉をそのまま盛り込んだ。

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  • #11 星になったこどもたち

    #11 星になったこどもたち

    波照間島の中心部、西表島を望む小高い丘に「学童慰霊碑」が建っている。この碑は太平洋戦争末期、西表島南風見へ強制疎開させられ、マラリアで命を落とした波照間小の児童66人の霊を慰めるために建立された(1984年の創立90周年事業)。

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