歌が生まれる時

#3 さしみ屋

#さしみ屋  #たかしの店  #とーまん  #チューリップマインド  #頭慢  text: osamu shimajiri 
#3 さしみ屋

 他府県などからの移住者が石垣島で生活を始めると、驚かされることが多い。

「さしみ屋」も、その一つ。本土での魚屋は、島では鮮魚店、さしみ店と呼ばれ、地元の人は親しみを込めて「さしみ屋」と呼ぶ。店は漁師の家族や親族によって営業しているものが大半で、30軒以上あるとみられる。一方で、看板がない店が何軒もあり、移住初心者を悩ませる。

 2017年2月、頭慢さんは埼玉県から石垣島に移り住んだ。知人から「いいさしみ屋があるよ」と教えられ、期待をしながら何度行っても閉まっている。そのさしみ屋は、商売を辞めてはいなかったが「たどり着けない店」だった。

 この曲づくりを考え始めた時、その言葉が真っ先に浮かんだという。冒頭の〈かみやーき小の並びにある 星野商店の隣にある 看板の無いさしみ屋〉という歌詞は、店を勧めた知人が話した言葉、それをそのまま使った。

 親しみやすいメロディーと、どことなく哀愁が漂う曲調。〈おまえはさしみなんかつまんでさ 笑いながら島酒を飲み 楽しくやってることだろうね〉などの歌詞は人の面影を感じさせ、過去の苦い恋愛経験があるのかと思わせる。しかし、その部分は創作という。この歌は、ほろ苦い実体験と作者のイマジネーションから生まれた「日常ソング」なのだ。

 移住前に東京・埼玉などでライブ活動を行っていた頭慢さん。島でライブを続けるうち客との反応の違いを体感し、「島の人に喜んでもらえるような、寄り添った歌をつくりたい」という思いが芽生えた。その思いがやがて成長し、楽曲となった。

 

 

 


SONG INFO

「さしみ屋」
2017年 作詞・作曲/頭慢(とーまん)

 


Words by

頭慢/とーまん
本名・佐藤伸夫。1963年生まれ。埼玉県出身。2017年2月、石垣島に移住。同年から「たかしの店」で毎月1回ソロライブを開催、24年8月時点で延べ88回。20年と21年にミニアルバム「石垣島ソング1」「石垣島ソング2」リリース。今年10月に「石垣島ソング3」リリース予定。ツアーガイド「チューリップマインド」代表。

PROFILE

文/島尻修

  • #16 幸せ

    #16 幸せ

    この歌は2005年、沖縄市で開催された第7回コザ音楽祭(主催・沖縄ロック協会)に、4人編成のバンド「チョコプレ」で出場し、見事グランプリに輝いた受賞曲である。

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  • #15 軽トラックかりて

    #15 軽トラックかりて

     小浜島のシュガーロード。両側にサトウキビ畑が広がるまっすぐに伸びた坂道で、この道を走行する軽トラックが2003年に発表された楽曲『軽トラックかりて』の源泉になっている。 ある時「ポっという感じだった」と、曲が産声を上げた瞬間を振り返る。歩きながらハミングするような、自然の流れで生まれたという。

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  • #12 HELLO MAMA

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    4年前の春まだ浅き頃、池田さんの母・信子さんはがんのため78歳で亡くなった。池田さんは「自分がアーティストとして歌い続ける以上、母をテーマにした歌を作りたい」と強い決意を抱いた。「メロディーはすぐ降りてきた」。しかし歌詞がなかなか浮かんで来なかった。母親への愛慕が流れ続ける間、川面の泡のように浮かんでは消え、消えては浮かぶ感覚の中で、言葉が形を成したのは、メロディーが生まれてから4年後だった。数多い思い出のなか、母親が口にしていた「今度生まれて来る時はパーマ屋になりたい」という言葉をそのまま盛り込んだ。

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  • #11 星になったこどもたち

    #11 星になったこどもたち

    波照間島の中心部、西表島を望む小高い丘に「学童慰霊碑」が建っている。この碑は太平洋戦争末期、西表島南風見へ強制疎開させられ、マラリアで命を落とした波照間小の児童66人の霊を慰めるために建立された(1984年の創立90周年事業)。

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